七隈の由来
私は福岡市城南区七隈に住んでいる。
七隈という地名の由来は、、はてさて 何かな?
・・と記されている。
昔大宰府に通じる道があり、運送を生業にしていた民がいたらしい。
確かに現在「C」と表示されている都市高速道路の下に古くからある道路(今は綺麗な道路)があり春日原(かすがばる)、大野城市を経由し大宰府に通じている。
「なるほどですね~」
この説でいくと「ななぐるま」という音が「ななくま」になり、その音に漢字を当てて「七隈」としたように思える。
何故 七熊や七久馬 ・・・ではなかったのか?
何故 「七」で「隈」なのか?
調べてみると、「七」には元々「切る」という意味があるそうです。
「隈」は「奥まった所/そこには神様がいる畏れ多い場所」という意味があるらしいということがわかりました。
「なるほどですね~」
七隈とは、切り取られて奥まった場所だったんですね。
【重要】以上、以下は私個人の見解で何の証左もありません。
そこで、古い博多の地図を見てみると・・・なんと・・
弥生時代の海岸線は今よりずっと内陸部にあったらしいです。(縄文海進の後ですからね、それに埋め立ても無かったし)当然もっと海岸線は複雑に入り組んでいたと思いますが、だいたいこの辺りのような感じです。
城南区には荒江、草ヶ江という「江」が付く地名もあり、海が近かったことがわかります。
海から見ると切り取られて、山に挟まり奥まっているように見えませんか?(強引/笑)
「C」の先に大宰府がありますが、因みに白い点をたどった先も大宰府に通じています。
【重要】以上、以下は私個人の見解で何の証左もありません。
赤い△の先は標高が1055mの背振山があり、
ほらほら 奥まった所に神様・・・畏れ多い感じですね。
【重要】以上、以下は私個人の見解で何の証左もありません。
熊本から福岡にかけて「隈」の付く地名が多くあります。福岡市内にも七隈の他、雑餉隈(ざっしょのくま)、月隈、金隈、干隈などがあります。
ある説では・・・
「大きな川が流れる大平野よりも、小さな川が注ぐ盆地や海沿の低地の方が水を利用しやすく、海人族が持ち込んだと言われる最初の近代的な水田稲作はこういった場所で始められたのではないかと考えられ、このような場所を「クマ」と呼んだ」
月隈や金隈の近くには板付遺跡(弥生時代)もあり「なるほどですね~」。
いずれにしても、福岡市地下鉄説よりはなんだかロマンがあると思うのはそこに住んでいる私の独りよがりでしょうか・・
#七隈 #隈 #福岡市 #城南区